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汝の隣人を愛せよ、または仁愛

 

おはようございます。

 

先日、家族で外食に行った時、オーダーしたお料理の待ち時間に、娘がなにやら長い文章を書いていました。

お友達に手紙でも書いているのかな、とその時は思っていたのですが、料理が運ばれてきたらスッと私のバックにそのメモを入れたので、それほど重要なものではなかったのかなとあまり気にも止めなかったのですが、後日確認をしたら、

『文字も読めない神様も知らないそんな貧しい子供たちに、神様の愛を教えるために小さな学校を作って下さい・・・』省略

 

私の家はカトリック教育を受けたものがおらず、娘は学校以外ではあまり神様を意識した環境にはいないのですが、学校の日々の生活、教えだけで、こんなにも視野が広がるのかと改めて驚きました。

 

とは言っても、最初はメモの落書きでこのような事をつぶやく娘が、もっと年相応の幼い思考でもいいんじゃないか、ちょっと染まりすぎているんじゃないかと心配になったのですが、

この事をお友達に話したところ、「そんな事一生考えもせずに生きていく人も多いんだから、素晴らしい事だよ」と言われ、確かに、私が世界に目を向けられるようになったのは社会人になりそのそうな教育を受けてからの事で、小学生で視野を広く隣人以外の存在に目を向けられる教育を受けている事に改めて感謝の気持ちが溢れました。

 

新約聖書による『汝の隣人を愛せよ』の愛(アガペー)は見ず知らずの人にでもすべての愛を注ぐという教えに対し、

同じく、人を愛する事を大切にした中国の孔子の『仁』は、まずは自分の血縁や師を愛し、そこからグラデーションのように広がって周辺にも温かい心で接していきましょう、遠い関係の人でも出来るだけ仁愛をと説いています。

中国ではもともと血縁のあるものだけ、赤の他人はそこにいないのと同じ、という考え方であったそうです。

 

同じ隣人でも解釈の幅が広いなぁとどちらが良いとかそんなジャッジもせず、単純に周囲の人を大切にしようと思いました。

 

なんだか逸れますね、いつも話が。すいません。

 

 

 

本日は以上です。

よい一日をお過ごしくださいね!